aeonnous’s blog

Aeonnous教授の隠逸生活と意見

武蔵国分寺跡

中央線沿線も、ほとんど都市化が完了してしまいましたが、国分寺駅の近くは緑がのこっていますね。

南側の緑地の中心は、武蔵国分寺跡になります。奈良時代、今から1280年前の741年、聖武天皇の発願により各地に国分寺
開かれました。武蔵國では、地下水豊富なこの崖線に、国分寺が建立されました。
ふるいお寺さんにはかならずよい水源がありますね。
今でも、崖線の岡の上に真言宗武蔵国分寺が法統を継いでいます。大昔の東京の中心は府中国分寺にあったわけですね。
本物の古刹です。
f:id:aeonnous:20211031115600j:plain
古代の武蔵国分寺の金堂は、発掘整備が続いており、とても快適な空間になっています。
風水の良い場所を選んだのですね。
f:id:aeonnous:20211031115740j:plain
ここで、金光明最勝王経や、仁王経が受持講究、ひらたくいうと、読経されていたのですね。
金光明最勝王経は、鎮護国家の霊験があると信じられていました。
仁王経は、仁王様とは特に関係がなく、仁君たる王様のありかたを説いたお経なわけですね。
仏説仁王般若波羅蜜経は、般若心経と同じ般若部のお経で、一切皆空をときます。
国家も、幻に過ぎないというお経です。だからこそ、国王は菩薩として、国民を救済しなければならない、
そのために、学問技芸を保護しなければいけない等説いています。
そうすれば、国王と国民の善の因果によって、国は保たれるということですね。決して虚無主義にならないのが、成熟した
政治思想だったと考えられます。聖武天皇の発願は、内憂外患が続いた奈良時代の危機意識の表れだったのでしょう。
f:id:aeonnous:20211031115916j:plain
古代の信仰の中心は塔、ストゥーパでした。七重の塔の礎石が歴史をものがたっています。
遺跡の前に立つと、すべては空に帰るけれども、人のための善き意志というのは、長く残るものだと感じます。