読書日記 「広告の転形期」と『にぎやかな未来』
広告の転形期がいわれて久しいですね。
昭和時代の成熟した広告文化をリードした雑誌『広告批評』は、2009年、インターネット広告の時代に入ったとして、終焉しました。
昨年からは、都内の電車から、雑誌の中吊り広告がほとんどなくなりました。
そもそも、震災後、電車で新聞や雑誌を見ている人がほとんど皆無になりましたね。紙媒体の広告消費量がものすごく減少しているのはわかります。
いつのまにか、大きなターミナルのキオスクでも、英字新聞はまったくみかけなくなりました。ネットのなかった昔は英語の一番安い勉強は、駅売りのDaily Yomiuri(2013年休刊)でしたよ。
電車の中で、本を読んでいる方は、たまに見かけます。
(それは、私かもしれません。笑)
他方、インターネット広告は、まったくのカオスが続いていますね。
スマホのサイトによっては、広告が邪魔をして見づらいところが出てきています。
『広告批評』の創刊の11年前の1968年、筒井康隆先生のSF小説「にぎやかな未来」において予見された未来は、(たしか)一分おきにCMが入るワーグナーの「LPレコード」がただでもらえるというものでしたが、「LPレコード」という媒体も供給市場からほぼなくなり、技術の向上とともに、現実はさらにナンセンスも先鋭な状況となっています。
たとえば、関係のない広告や、わけのわからない漫画や課金ゲームの広告をなぜ受け取らなければならないのか、ナンセンスの極みといえましょう。ひっかかると思われているのでしょうか。
いくら広告を打っても、そんな商品は買わないので、無駄というのに、広告主はいつ気が付くのでしょうか。
某他社様のポータル(はてな様ではありません)であまりに下品な漫画の広告がしつこいので、このような指摘を消費者としていたしました。
「御社の職場では、このような画像をたとえば男性職員から女性職員に見せた場合、セクハラにあたらないようなコンプライアンス状態なんでしょうか?」
まあ、こんなコメントをAIロボットがどう処理するかわかりませんが。。。。
せめてプロバイダ契約をしているポータルでは控えてもらいたいですね。月何千円も金をはらっても見たくない広告が迫ってくるのは、ポスト・「にぎやかな未来」のトラウミックな状態といえましょう。
CMを見て、幅広い大衆が、商品と時代を共有して、感動したり、流行語をつくったりという「大衆広告」の時代は去り、ターゲット広告という名の的外れの矢が刺さってくるナンセンスな日々を過ごすばかりとはなりました。
防衛策としては、自動車や食品などの無難な広告をクリックして、履歴を改善してなるべく気に入った広告が目に入るようにするのでしょうけれども、それも広告戦略にあたってしまっているような気がします。。。。
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