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Aeonnous教授の隠逸生活と意見

【音盤渉猟】唖蝉坊「解放節」は百年たっても斬新だ

約100年前に登場した添田唖然坊の「解放節」は、社会的イントレランスを乾いたユーモアと痛烈な風刺で歌い上げます。

添田唖蝉坊・山路赤春/ 解放節 土取利行(唄・演奏) - YouTube

 

これが本来の演歌、自由民権運動以来の、政治的メッセージを含む演説的な歌だったわけですね。大正の末年、治安維持法の制定され、また蓄音機や国営ラヂオが急速に普及するとともに、大手レコード会社が配信する演歌は、脱政治化し、次第に、情を切々と訴えるばかりとなります。

 

一番の歌詞は、第一次世界大戦によるインフレの中での教員の飢餓と大戦バブル崩壊後の困窮化を歌ったもので、おそらく、現代日本もその時代に入るのも時間の問題でしょう。

二番の歌詞は、「温情主義の模範工場」で「社長が論語を読む」が、「職工の空腹はどうしてくれる」というものです。

これは、渋沢栄一の「論語と算盤」(1916年)に雷同する経営者たちを痛切に皮肉ったものといえましょう。

昨今の皮相的な渋沢栄一ブームはありましたが、実際の賃上げや恒久減税に結びつかないのは、なぜでしょうか。孔子様がなげいていたように、世に仁を躬行するものがいかに少ないかということですが、『論語』の原文には、「20%の税率でも政府の徴税が足りない」と嘆く為政者に対して、孔子様の高弟の有若は、「どうして10%に減税しないのか」(蓋ぞ徹せざる)と述べています。

減税による経済回復効果は春秋時代にもうわかっていたのです。

三番の歌詞は、地方出身の少女への搾取の現実を嘆くもので、コロナ禍での現代の日本でもおなじような社会問題から免れないといえましょう。いろいろ法案をつくっても根本的解決には程遠いものがあります。なぜなら、東証プライム上場の大企業の経営当事者が世上一流とされる大学院で地方出身の女性を蔑視、物化するような失言を教壇の上で白昼堂々するような状況では、SDGs5の達成は百年河清を俟つようなものでしょうが、残念ながら百年たっても変わらなかった日本社会といえましょう。


2022.6.27字句の修正をしました。