チャイコフスキー ピアノ協奏曲第三番
最近、ロシアについては、暗澹たるニュースが多いですね。
ロシアの暗澹というと、思い出されるのはドストエフスキイの小説か、チャイコフスキーの「悲壮」となります。
チャイコフスキーの最期の絶唱は、交響曲第六番「悲壮」Patheticでした。暗澹たる人間の心理をこれでもかと抉る作品です。暗澹たる第一楽章の呻吟からはじまり、優美な第二楽章の思い出も、勇壮な第三楽章の希望も、第四楽章の悲しみの嵐にかき消され、最後のピアニッシモに吸収されて、虚空に帰るのです。聞き手の悲しみはきわまって、むしろこれで昇華するような、楽曲が代わりに聞き手の悲苦を引き受ける「代受苦」の仕掛けともうせましょう。
憂愁悲壮の極みの交響曲第六番と同時並行で、チャイコフスキーが次の交響曲を構想していたことは伝記であきらかにされていますが。チャイコフスキーも時間切れとおもったのでしょう、その未完の交響曲の一部をピアノ協奏曲にまとめて、これもけっきょくチャイコフスキーの急死の結果、第一楽章のみの未完の協奏曲となりました。これがピアノ協奏曲第三番であります。
この楽曲は、未完でもあり、音源や演奏機会もほとんどありませんが、陰の極みの悲壮のなかの一陽来復ともうしましょうか、変ホ長調という陰影はありながらも希望の光と力強い生命を感じさせます。
冬の極み、陰の極みにおすすめの一曲です。
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