「1812年」音楽の受難と「戦争と平和」
チャイコフスキーの名曲「1812年」序曲は、1880年に作曲されました。
産業博覧会という国家イベント用のテーマソングだったわけですが、帝政ロシア時代の愛国心発揚のために、ロシア帝国国歌が挿入され、仏蘭西国歌 La Marseillaiseとの主題との相克と空砲を楽器とすることによって戦争を描写しています。
ソ連時代においては、このロシア帝国国歌の部分は削除されて演奏されていました。私もその当時のスヴェトラノフ指揮の音盤を中高生のころはきいていたものです。芸術家にとっては、作品の一部が政治的目的で削除されるというのは、まったく受難です。
ソ連崩壊とともに、この国歌の下りはロシア本国の演奏でも復活しました。ロシア音楽のコテコテ感は、ロシアンティーのように、ロシア人にまかせないと味がでないですね。
最近は、ウクライナ戦争勃発により、この曲がまた受難のようです。演奏会プログラムからはずされたりしましたね。
もちろん、音楽会は、音楽監督の審美眼や価値観をあらわすもので、企画自体は、公開で行うならば公序良俗に反しないかぎり、まったく自由な発想でよいとは思いますし、また、砲声が「ロシアの対ウクライナ侵略」を想起させ不快に思う理由となっている人がいることも、十分想像はできます。それが音楽監督の思うところでなければ、プログラムから外す理由となるでしょう。
ただし、わたくしは、これはまったく別の問題ととらえたほうが、自由主義圏に生きる者としては適切だと思います。一定の芸術的評価がパブリックにさだまっている芸術作品を政治的発想から抑圧するということに賛同するならば、結局天に唾するように「不自由な世の中」として自分にかかってくるわけです。(もちろん、第三者に不快を抱かせるあるいは一方的な主張を行うような作品でその評価がまだパブリックにさだまっていないものの公開の場におけるとりあつかいは、この議論から外します。)
2022年に暴虐な戦争を行う者と、百四十年前の芸術作品を同列にすることは、わたくしの個人的見解では、適当ではありません。第二次大戦中に、米英音楽を排除し、ドイツ降伏後にはドイツ音楽をわがNHKが放送しなくなったのと同じような愚行を、繰り返してはいけません。昭和20年夏には、いよいよ孤立し、日本のラジオは、8月8日まで中立関係にあったロシア音楽を流していたわけですね、米ソの密約も知らずに。
「1812」年序曲を葬るのならば、トルストイの「戦争と平和」はどうなるでしょう。トルストイの「戦争と平和」もまた、図書館から貸出禁止にするのでしょうか。
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