aeonnous’s blog

Aeonnous教授の隠逸生活と意見

”よい円安”? その3 国際経済のトリレンマ

最近の論調をみると、さすがに”円安歓迎”は少なくなりました。

 

その一方で、円安について、なぜこのように政府は介入などなにもしないのだろうか?という疑問をもっている人は多いとおもいます。物価騰貴がひしひしと迫る中で、そのような意見も見られます。

 

行き過ぎた通貨安をふせぐ、通貨防衛のための為替介入は、これまでたくさん例がありますね。中央銀行がわが失敗した例に、ジョージ・ソロスの一世一代の1992年「ポンド売り崩し」に英中央銀行が対応できなかった例があります。また、防衛に成功した例に、1997年香港返還にまつわる「香港ドル売り崩し」がありますね。

 

しかし、中央銀行は万能ではないのです。今の状況で介入をしないのは、端的にできないからにほかありません。

 

なぜでしょうか。

 

それは、国際経済学の理論「マンデル・フレミング」モデルによる「国際経済のトリレンマ」があるからです。それは、「独立した金融政策=利子率政策」と「資本の国際的流動性」と「安定した為替レート」は、三すくみになっていて、三つ同時に達成することはできないのです。

 

1997年の香港ドルがなぜ防衛できたかというと、当時、国際金融都市・自由貿易港として繁栄を謳歌していた香港は、資本の国際的流動性が保証されていました。だからこそ、世界の金融中心の地位を構築できたわけです。そして、香港ドルと米ドルとペッグする、安定した為替レートを実現し、投資国は、為替リスクをおさえて貿易や投資ができたわけですね。そのため、香港経済は急速に発展したわけです。その代償として、香港は、独立した金利政策を放棄して、ロンドンやニューヨークで決まる利子率に従う政策をとっていたわけです。しかし、人口数百万の香港の通貨は、ヘッジファンドから一種甘く見られて、売り崩しを仕掛けられたわけです。売り方は、オーバーナイトの短期金利香港ドルを借りて、レバレッジをかけて売り玉としたわけで、猛烈な売りをはかったのですが、結局失敗したのは、ひとつは香港=中国当局の徹底した介入がありますが、ヘッジファンド側があまりに巨額の短資をあつめたので、オーバーナイトの金利がさらに猛烈に急上昇してしまい、調達コスト(-のスワップポイント)がかさんで、結局ポジションを維持しきれなかったというわけです。香港の自由放任の市場メカニズムがはからずもうまく働いてしまったともいえます。

 

いま、日銀のとりくみは、日本の独立した金融政策=利子率の維持にあります。米国をはじめとする世界的な利上げ・金融収縮政策とは違い、日本は国内の条件、すなわちこれまでの国債の大量の発行と利払い負担、さらにコロナ期を通じて急拡大した低利・無利子融資などによって、金利上昇は金融経済にきわめて深刻な影響を与えると考えられているわけです。金利の上昇政策により、そのあと20年以上苦しみぬいた90年代バブル崩壊と同様の恐慌危機を招くでしょう。その一方で、「資本の国際的流動性」は、維持される必要があります。貿易収支が赤字となり、これまでの海外投資のあがりである経常収支で生きている日本として、資本の国際流動性という建前をなくすことはできません。また、海外投資の受け入れ推進の政策も打ち出されました。

 

よって、為替の安定性はあきらめざるを得ないのです。

金利裁定ということばがありますが、金(かね)は、インフレ率を割り引いた実質利子率の高い方にながれていくのが理の当然です。円高円安は、80年代のように貿易収支によって決定される比重は小さくなり、より大きな額の資本が向かう向きで決定されるということになります。

円高や円安に振れても、それは、他の政策をあきらめないかぎり、容認せざるをえないわけです。円安を容認しているのは、家計ではなく、金融当局なわけです。同様に、円高の際も、政府はほとんど無為無策なように見えたのは、この理屈です。

 

どのような政策にもコストがかかります。現在の姿は、円安によって、円貨をもつ国民・勤労大衆の逆資産効果と、ドルなど外貨の収入・蓄積がある企業・資本家の資産効果がはっきりと格差を生んでいく社会にほかありません。

 

この日銀の低金利維持政策は、いずれにせよ、このたびは、短期的には勝利するでしょう。国民の円安による逆資産効果、そして資本の流出を費用として。

 

 

 

 

奇妙な骨董品 ファンタジーの宴

ヤフオクでおもしろい出物がありました。大清乾隆年製の琺瑯彩の碗です。

 

よそ様の御商売なので、直接リンクは示しませんが、「某財閥」ゆかりの「某寺院」様からの委託品というものだそうです。

手の込んだ仕掛けです。

清朝琺瑯彩という磁器の最高峰といわれるもので、写真でみるかぎり、ほんとうに精巧にできています。

しかし、なんとも不思議なことに、碗の底に精巧な小楷で上絵付けされた銘文がいけません。簡体字がつかわれております。乾隆年間の銘文に20世紀後半の中国の簡体字がつかわれているのは、アナクロニズムにもほどがあります。

 

ここまで手をかけながら、こうしたことが起こるとは、せっかく手間暇かけてこの骨董を作った人も売る人も、そして、買う人がいればその人も、基本的な知識が欠乏しているということになります。20年前ぐらいの贋作品にくらべ、おそらくスキャン・プリント技術の向上により、陶器も技術的には、清朝時代にけっこう肉薄しているのですが、残念ながらへんな銘文をつけるからだめです。昔は、御窯磁器の偽物は手書きの落款(「たとえば大清乾隆年製」など)がだめでしたが、今は図録からスキャンしてプリントするのでしょう。写真ではわかりません。

 

まさに、これはファンタジーというものですが、中国語ではこのような骨董品もどきを「古玩」といいます。まさに、いにしえで遊ぶ玩具なわけです。このような奇妙な宴をなぜみな真剣に行っているのか、そちらの方が興味深いです。

 

一時期、日本に残された彼の地の骨董品がだいぶ掘り出され買い戻されました。ターゲットは彼の地にあるのかもしれません。

【音盤渉猟】唖蝉坊「解放節」は百年たっても斬新だ

約100年前に登場した添田唖然坊の「解放節」は、社会的イントレランスを乾いたユーモアと痛烈な風刺で歌い上げます。

添田唖蝉坊・山路赤春/ 解放節 土取利行(唄・演奏) - YouTube

 

これが本来の演歌、自由民権運動以来の、政治的メッセージを含む演説的な歌だったわけですね。大正の末年、治安維持法の制定され、また蓄音機や国営ラヂオが急速に普及するとともに、大手レコード会社が配信する演歌は、脱政治化し、次第に、情を切々と訴えるばかりとなります。

 

一番の歌詞は、第一次世界大戦によるインフレの中での教員の飢餓と大戦バブル崩壊後の困窮化を歌ったもので、おそらく、現代日本もその時代に入るのも時間の問題でしょう。

二番の歌詞は、「温情主義の模範工場」で「社長が論語を読む」が、「職工の空腹はどうしてくれる」というものです。

これは、渋沢栄一の「論語と算盤」(1916年)に雷同する経営者たちを痛切に皮肉ったものといえましょう。

昨今の皮相的な渋沢栄一ブームはありましたが、実際の賃上げや恒久減税に結びつかないのは、なぜでしょうか。孔子様がなげいていたように、世に仁を躬行するものがいかに少ないかということですが、『論語』の原文には、「20%の税率でも政府の徴税が足りない」と嘆く為政者に対して、孔子様の高弟の有若は、「どうして10%に減税しないのか」(蓋ぞ徹せざる)と述べています。

減税による経済回復効果は春秋時代にもうわかっていたのです。

三番の歌詞は、地方出身の少女への搾取の現実を嘆くもので、コロナ禍での現代の日本でもおなじような社会問題から免れないといえましょう。いろいろ法案をつくっても根本的解決には程遠いものがあります。なぜなら、東証プライム上場の大企業の経営当事者が世上一流とされる大学院で地方出身の女性を蔑視、物化するような失言を教壇の上で白昼堂々するような状況では、SDGs5の達成は百年河清を俟つようなものでしょうが、残念ながら百年たっても変わらなかった日本社会といえましょう。


2022.6.27字句の修正をしました。

【音盤渉猟】みなさん よい週末を ピアソラとともに…

金曜日の夕方になりました。

やっと俗事から解放されますね。

 

ピアソラを口ずさみながら、寄り道して街に向かうことにしましょう。

今日はあつかったので、すっきりした辛口の冷酒とおきゅうとぐらいがいいでしょう。

 

youtu.be

 

Jeroen van Veenさんの演奏もまた、陰影に富んだ情感豊かなものです。

 

坂本龍一さんの作品もカバーしています。

 

 

 

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裏ワザ便利帳 広告ブロッカー

遂に導入しました AdBlock

幸せです。

なぜなら、見たくもない広告から解放されたからです。

なぜ、食後に、あるいは、ヌアラエリアの紅茶でフィナンシェを食べる至福のおやつの時間に、爪水虫や角栓やその他のなまなましい写真をみなければいけないのでしょうか?

あらゆる病気の方を差別する気持ちはないですが、患部の写真を常にみさせられる必要もまたないでしょう。そのよこに百貨店のお中元の涼しげなお菓子の広告などもあり、わけがわからないにもほどがあります。

 

設定においてはこちら様の記事を参照いたしました。

tech-camp.in

某同業他社IT企業様との無駄な戦いの記録

また、SDGsを謳う某大手IT企業さまのポータルで、女性への蔑視に満ち、格差差別を助長するような、あるいは、暴力を助長するようなくだらない漫画の「ヒトコマ」広告をみなければいけないのでしょうか。(このキーワードがトリガーしてそういう広告がでてしまったらごめんなさいです。)

 

この点は、私は、某携帯電話も運営する大IT企業様に苦情を投稿しました。「御社は、SDGsへの取り組みを別のHPでは宣伝しことさらに毎日SPAMで顧客に誇らしげに送りつけてくる一方で、(SDGs目標5に反して)女性を辱めるような漫画のシーンや残酷な暴力を描写する漫画の広告を、再三の不表示設定にもかかわらず、なぜ表示するのでしょうか。」と。あるいは「閲覧者が全く関心のないと既に何度も表明している広告、そのようにお伝えしている広告をなんども表示して、閲覧者の属性にしたがったターゲット広告として、広告主から広告収入を得ることは問題ではないですか?」と。あるいは、「御社では、こうした女性を辱めるような漫画を社内で閲覧していても、セクハラにあたらないようなコンプライアンス状態なんでしょうか?」などなど、いっても無駄はわかっていますが、そのような偽善にわたくしは、我慢ができません。以前、SDGsに関する仕事にもたずさわっていたので、なおさらに感じます。

 

この巨大企業との戦いは利がありません。ただ、この携帯電話は私はいずれ解約しようと思います。なぜなら、そのようなコンプライアンスの会社にわたくしは関心がないからです。わずかな報酬で広告のために顧客の属性を売り出す会社が、顧客のためになにかしてくれるわけがありませんから。

 

報酬広告の仕組みで限りない低価格で大量に配信できる広告によって占拠されるありさまは、まさに「パブリック・ドメインの悲劇」を地でいくものですね。

 

おそらく、近い将来入るメタバースは、このようなみたくもない広告に満ちた暗澹たる「にぎやかな未来」なのでしょう。こっちむけば角栓、こっちむけば爪水虫、メタバースの書店にはいればみたくもないヒトコマ漫画広告のディストピア。。。

せめて、コンプライアンスのある企業様の広告が見たいですが、すっかり広告費も減ってしまっているようです。

なお、はてな様はわたくしの知る限りは、広告はそれほど嫌な感じはしません。よいポータルだと思います。

【お題】好きだった給食メニュー カレーソフトめん

好きだった給食メニューは、カレーソフトめんです。

1970年代、パン食中心だった給食のなかで、「カレーソフトめん」は、おおむね月に一回出ていましたが、とても好きでした。

 

学校調理の時代でセントラルキッチンで炊いた米飯を出す時代ではなかったので、カレーライスは、修学旅行ぐらいにしか学校ではおめにかかりませんでしたから、カレー味の料理は、これに尽きていたわけです。

 

スープカレーにちかく、いまから思うと薄いのでしょうが、十分おいしく思いました。後年、インドネシアのジャワ島東部でカレーをたべたところ、似たようなスープ系のあっさりとしたものがありました。

 

めんも薄いポリエチレンの袋にはいって、生暖かくのびきったしろもので、先割れスプーンでは扱いにくいものでしたが、開封前のあの粉の香りが、いまでもむせかえるように思い出されます。

後年、福建省それから東南アジアにひろがるコメの麺である粿條がこれに近いとおもいました。

海外に行って現地の料理をたべて、昔の給食を思い出すのは、それはホームシックだったに違いありません。だから、それは「好きだった給食メニュー」なのです。

 

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【音盤渉猟】典雅にして優しい癒し バッハ「フランス組曲」by Yuan Sheng

昔、某国営放送で、「ピアノのおけいこ」という放送がありました。

 

中村紘子先生のご教授で、良家の子女とおぼしき生徒が一生懸命難しい曲を弾くようすを見るのがすきでした。

 

1970年代はじめごろ、私の家にはまだピアノもなかったのですが、フランス組曲の回が続いていたのにひきこまれ、こんな世界があるのだ、と心に沁みるものがありました。

それが、私のバッハとの出会いでした。

 

たしか白黒の放送だった記憶があります。記憶が白黒になってしまったのかもしれません。。。フランス組曲というとこのシーンを思い出します。

 

このYuan Shengさんの演奏、ピアノによる演奏で、情感情緒を歌うものがあります。しっとりとした演奏で、そうした過去の哀歓に満ちた思いでを想起させるものがあります。

youtu.be

チェンバロによる厳格な学術的なバッハ演奏という古楽復興のとりくみもきらいではありません。冷厳高踏にも聞こえるレオンハルト盤に傾倒していた時期もありました。しかし、最近、初老の門も近づくと、哀歓を尽くした「やさしい」演奏に吸い寄せられてしまいます。

 

「みなさまの」国営放送がもっていたドイツ教養主義の伝統は、いつしかなくなってしまいました。今の教育放送の惨状は見るに堪えません。そこまで媚びないと勉強しなくなったんでしょうか?言葉遣いもぞんざいな「〇〇ちゃん」が教養番組といわれると、昔の中村紘子先生の上品な会話を思い出し、とても悲しくなるのは、やはり初老の感傷でしょうか。だから、私は、テレビを捨てて、国営放送は二度と見ないのです。