aeonnous’s blog

Aeonnous教授の隠逸生活と意見

兵法三十六計で見るウクライナ戦争

論語」や「孫子の兵法」などの中国古典の智慧は、日本では一時期「経営学」にも応用され、ずいぶんと人気がありました。世代交代とともに、いつのまにか、忘れ去られていきましたが、最近の渋沢栄一ブームでやや見直されたところもあります。

 

このウクライナ戦争も「兵法三十六計」で見ると展開がよく見えてきますね。

 

ロシア側の「兵法」は、これは世界一の核軍事大国が負けるわけがないという「勝戦計」でのぞんだわけですね。

「瞞天過海」の計で、大軍を動員した演習を繰り返し威圧して、「国際法違反の侵略」という非難も受け止めず、しゃあしゃあと行うというものでした。みんなが理屈では考え付かないようなことを行い、力でねじ伏せるやり方です。ゆえに、天を欺く、というわけですね。

ロシア側は、昔のスターリンソ連の権威をもちだして、ウクライナを「非ナチ化」すると公言しましたが、これは「借屍還魂」の計といって、死んでしまったものをひきずりだして、魂を吹き込もうということですね。スターリンといえば、まだ泣く子も黙るわけです。

ウクライナ側は、十分の一以下の劣勢にあるわけで、守勢にまわらざるを得ません。自分が有利な場所に敵をおびき寄せて殲滅する「調虎離山」という策、それから、都市の近郊におびきよせて、市街戦にもちこむ「空城計」をもちいたところですね。ジャベリンやドローンなどの防御兵器を巧みに用いました。孫子の兵法では相手を「死地」においこむことが作戦の成否をきめるのでした。

また、ウクライナは、外交をたくみに用いて、欧米や日本など先進各国にロシアへの経済制裁に参加させましたが、「釜底抽薪」の計で、かまどの薪をひっぱりだし、継戦能力をそごうとしたわけですね。

外交面ではロシアは、ベラルーシに圧力を加えて、憲法を改正させ、ロシア軍を受け入れさせましたね。これは別の国を滅ぼそうとするとき、中途に通行する国もついでに征服してしまう「仮道伐虢」の計ですね。

ここ数日の動きでは、ロシアはキエフ方面から撤退して東部に集中するという報道がありましたね。ウクライナは「キエフ方面から撤退ということはみられない」とこれを見破っているようですが、ロシアの策は文字通り「声東撃西」というべきもので、東に専念すると宣伝して、すきあらば西を攻撃しようという宣伝だったわけですね。

 

孫子の兵法で言えば、ロシア軍はウクライナに進入し「死地」に入ってしまったわけで、背水の陣で士気を高めて急戦法で戦うしか勝利は得られないですね。しかし、これだけ時間がたってしまい、士気が低下してしまうなかでは、露軍不利の状況が続くでしょう。一方、ウクライナ側は「老子」の「哀兵必勝」であり、追い詰められた哀しみをもつ軍勢は士気が上がり、かならず勝利するという状態だと見えます。

 

孫子の兵法を見れば、おそらく、近日中に、一大決戦がおこるでしょう。現時点では、マウリポリの攻防がまずは一大決戦となり、戦争の勝敗に重要な点となるでしょう。

 

 


 

 

易学で見るウクライナ戦争(その2)

(その一から続く)

たとえば、日の丸をみてみましょう。

私は、国運というのは、その国旗に現れると思います。そのデザインは国の象徴として考えられ、その権力者が採用し、国民が大事にするというもので、非常に意味がありますね。

 

たとえば、日の丸をみてみましょう。朝日が天に上るさまですね。易では、火が上、天が下とみることができ、離上乾下の「火天大有」の象意があります。わが国運は、上り坂の時は大いに成功し、豊かさをもたらします。しかし、「驕り」をおこしやすく、あればすべてを失い亡びます。戦前の軍国主義も、最近のバブル経済でもその通りでした。

 

ウクライナの国旗はどうでしょう。水色と黄色ですね。

母なる大河と豊かな小麦の実りですね。これを易にあてはめると、水が上、土が下とみたてると、坎上坤下の「水地比」の象意があります。水が大地をうるおすという、世界の穀倉にふさわしい卦です。

そういういいところなので、人がたくさんやってくるから「比」というのですね。

ただし、難点として、易経はこう言っています。

不寧方來。後夫凶。  

  寧(やすん)ぜざるの まさに来たらんとし、のちの夫(ふ)は凶なり

いろんなたくさんの人がやってくるので、不安定が生ますが、仲間に入れなかった凶悪者もやってくるということです。

ウクライナも政情不安が続いたところで、NATOからはじかれたロシアの兇悪な攻撃をうけてしまいましたね。

 

それではどうしたらよいのでしょうか。いにしえの周の時代の賢人は、すでに処方箋を書いています。

象曰、地上有水比。先王以建萬國親諸侯。

 象(しょう)にいわく、地上に水ありて比す。先王は、万国を建て、諸侯を親しましむ。  (易のきざしは、地上に水があって、これをだれがみても公平にするということです。ゆえにいにしえの聖なる王は、各国をつくって、諸侯を親しませたのです。)

この易のことばはあたっているとおもいませんか?

まさに国際的な枠組みで、複数の有力国が安全を保障しあって解決するしかありません。ここ数日の動きは、解決への長い道のりの始まりだと思います。

わたくしは、金谷先生の「易の話」がわかりやすく、こうした哲学、思考の方向を知るうえで役にたつと思います。

 

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易学で見るウクライナ戦争(その1)

易学というのは不思議なもので、文字通りの「形而上学」ですが、哲学思想として現象を理解し、予測するのを手伝います。占いに使えば、当たるも八卦、当たらぬも八卦というのもまた他面の真実ですが、あたることもある八卦というのは、おもしろいものです。

 

易の哲学的解釈は歴代の超一流の学者の頭を悩ましましたが、易の解釈を大成した朱子もまた、「遯」の卦を得て恐れて隠遁しました。東アジアの哲学・思想の基礎には、わが神道を含めて、易の思想が根強く影響をしております。

 

易経の六十四卦をもとめる手法については、実占上いろいろな方法があります。朱子が復元した筮竹を用いるもっとも煩雑な方法は、国事を含めて大事を占う方法にふさわしいです。数学的には剰余系の計算ですね。

市井の人々は、さいころや銭三枚を使って卦をたてる簡易な方法をつかっていました。擲銭法は、香港や台湾で売られている暦書にものっていますが、今でも盛んにおこなわれていますね。

暦という点では、断易という手法もありますね。日時に易の卦を配当する方法で、おもいついたタイミングになにか意味があるという手法ですね。

一種独特の能力のある人は「梅花心易」をよく活用しますね。これが卦を得るのには一番難しくと思います。梅の花が咲いている枝に雀がとまった現象をみて、卦を建てるというものです。あらゆる眼前の現象に、易の象意がみられるという一種の神秘主義ですね。

 

私は、国運というのは、その国旗に現れると思います。そのデザインは国の象徴として考えられ、その権力者が採用し、国民が大事にするというもので、非常に意味がありますね。

 

たとえば、日の丸をみてみましょう。

 

これは、旭日昇天とされていますが、朝日が天に上るさまですね。易では、火が上、天が下とみることができ、離上乾下の「火天大有」の象意があります。わが国運は、上り坂の時は大いに成功し、豊かさをもたらします。

ただ、これには条件があって、「驕り」がなければ、というのが大事です。

まさに戦前、軍事大国の「驕り」によって国が滅んだ例がその通りですね。

それから、最近は、経済大国の「驕り」がバブル時代には観測されましたが、その後、

長く不景気が続き、国民は窮乏してしまいました。

 

 

 

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戦艦ポチョムキンの反乱と「オデッサの階段」

今のウクライナ情勢については評論がたくさんありますが、ネットで氾濫している凡百の素人の感想話を聞いて時間をつぶすより、エイゼンシュテイン監督による往年のソ連映画戦艦ポチョムキン」を見る方が、その歴史をよく理解できるでしょう。

 

ちょうど日露戦争のころのロシア帝国の政治的社会的混乱の中で、ロシア黒海艦隊の海軍軍艦のポチョムキンが反乱を起こすというものです。

 

そこで、有名なシーンに「オデッサの階段」(Odessa Steps)という、戦艦ポチョムキンの反乱を応援していたオデッサの市民に対して、ロシア治安部隊が水平射撃をして鎮圧するシーンがあります。

 

以下はリンクです。(流血虐待シーンにつき、閲覧には気をつけてください)

https://youtu.be/VMWMq4AEyjU

 

このオデッサのひとびとというのは、今のウクライナの人たちなわけですね。

このシーンのクライマックスは、撃たれた子供を抱えた母が、

Слышите! Не стреляйте! (話を聞いて!撃たないで!)

と叫んで、ロシア兵に哀願するものの、隊長の指揮のもと、いとも簡単に撃ち殺されてしまうというものです。

武装の女性や子供をねらった残虐な上からの小銃の水平撃ちもいまと同じですが、階段の下では、コサック騎馬兵による市民へのサーベル鎮圧で、騎馬遊牧民族を投入するやり方も同じです。

 

もちろんこの作品はロシア革命を賛美する「社会主義芸術」として作成されたものですが、すぐれた文芸映画というのは、イデオロギーや体制を超えて人間性の本質という真実を描きだしてしまうのです。

 

市民への武力鎮圧に対して、このお話では、ポチョムキンが艦砲射撃でロシア皇帝の別荘を砲撃するシーンがでます。軍の造反起義が生じたロシア帝国の方がまだましなご時世だったのかもしれませんが。

 

 


 

読書日記 「狩野亨吉の生涯」

狩野亨吉は、夏目漱石の親友で、東京大学出身、第一高等学校校長、京都帝国大学文科大学学長をつとめました。

 

学識豊富で、多くの人材を育成しながら、生前に公開された著作については、安藤昌益の「発見」や、偽書の排撃など数えるばかりで、その浩瀚なる学識に比べてきわめて寡作でした。正真正銘の自由自在な「知の巨人」(最近やや使い古された表現ですが)だったといえましょう。

 

漢学者の家に生まれ、東京大学では数学科をまず修め、文学科に進み、国宝となる書物を蔵書とし十万巻の書物を渉猟したその文章は、本当によんでいて「痺れる」ものがあります。

 

2015年には、一高の「跡地」の東京大学駒場キャンパス駒場博物館で、生誕150年記念の特別展が開かれましたが、その公式HPに、このようなエピソードが記されていました。

 

(引用はじめ)

多くの人材を輩出した一高校長時代の中でも、鳩山一郎・秀夫兄弟の
入寮問題は、狩野の清廉実直な性格を表すエピソードとして、巷間に広

く知られている。

例えば、青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』 (中公文庫、一九八七年)にも、
「長男一郎が一高に入った時、あんな寮では息子がだめになる、通学を

させるからと言いに来た(中略)彼女がとうとうとまくし立てるのをい

つものように黙って聞いていた亨吉は、〝ここは入寮が前提です。それ

が気に入らぬとすれば退学届を出して下さい。〟(中略)亨吉が自分で

語るはずはなく、恐らくは、そばに控えていた谷山生徒監あたりが漏ら

したのではないか。私たちが寮に入った時、この挿話は依然として語り

つがれていた」と記されている。
息子の入寮を阻止すべく母親春子が直談判に来たものの、狩野は特例

を認めず、言下に断ったという。外務次官鳩山和夫の権力にも屈しなか

ったという狩野の逸話は、母校の自立と自由とに誇りを抱いている一高
生にとって、好箇の話柄であっただろう。
確かに、政治的圧力をかけて息子の通学を認めさせようとする鳩山の
書簡も残されている[鳩山-2]。 しかしながら、 狩野文書に残された鳩山春

子の手紙や、当時の寮日誌などを読むと、言下に狩野が断った、という

にはやや異なる真相が浮かび上がってくる。(以下略)

(引用以上)(http://museum.c.u-tokyo.ac.jp/images/kano20151206.pdf

 

狩野亨吉は、実証史学を明治以来提唱してきた学者ですから、その「逸話」

についても、史料をもとに、厳密に検討されるのは、駒場博物館の良い仕事

だったと思います。

 

ただ、逸話のようなやりとりと真相はことなるとしても、狩野亨吉が政治的圧力に応じなかったこともまた確かだと思います。

 

 

 

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チャイコフスキー ピアノ協奏曲第三番

最近、ロシアについては、暗澹たるニュースが多いですね。

 

ロシアの暗澹というと、思い出されるのはドストエフスキイの小説か、チャイコフスキーの「悲壮」となります。

 

チャイコフスキーの最期の絶唱は、交響曲第六番「悲壮」Patheticでした。暗澹たる人間の心理をこれでもかと抉る作品です。暗澹たる第一楽章の呻吟からはじまり、優美な第二楽章の思い出も、勇壮な第三楽章の希望も、第四楽章の悲しみの嵐にかき消され、最後のピアニッシモに吸収されて、虚空に帰るのです。聞き手の悲しみはきわまって、むしろこれで昇華するような、楽曲が代わりに聞き手の悲苦を引き受ける「代受苦」の仕掛けともうせましょう。

 

憂愁悲壮の極みの交響曲第六番と同時並行で、チャイコフスキーが次の交響曲を構想していたことは伝記であきらかにされていますが。チャイコフスキーも時間切れとおもったのでしょう、その未完の交響曲の一部をピアノ協奏曲にまとめて、これもけっきょくチャイコフスキーの急死の結果、第一楽章のみの未完の協奏曲となりました。これがピアノ協奏曲第三番であります。

 

この楽曲は、未完でもあり、音源や演奏機会もほとんどありませんが、陰の極みの悲壮のなかの一陽来復ともうしましょうか、変ホ長調という陰影はありながらも希望の光と力強い生命を感じさせます。

 

冬の極み、陰の極みにおすすめの一曲です。

 


 

 

 

読書日記 「広告の転形期」と『にぎやかな未来』

広告の転形期がいわれて久しいですね。

昭和時代の成熟した広告文化をリードした雑誌『広告批評』は、2009年、インターネット広告の時代に入ったとして、終焉しました。

昨年からは、都内の電車から、雑誌の中吊り広告がほとんどなくなりました。

そもそも、震災後、電車で新聞や雑誌を見ている人がほとんど皆無になりましたね。紙媒体の広告消費量がものすごく減少しているのはわかります。

いつのまにか、大きなターミナルのキオスクでも、英字新聞はまったくみかけなくなりました。ネットのなかった昔は英語の一番安い勉強は、駅売りのDaily Yomiuri(2013年休刊)でしたよ。

電車の中で、本を読んでいる方は、たまに見かけます。

(それは、私かもしれません。笑)

 

他方、インターネット広告は、まったくのカオスが続いていますね。

スマホのサイトによっては、広告が邪魔をして見づらいところが出てきています。

広告批評』の創刊の11年前の1968年、筒井康隆先生のSF小説「にぎやかな未来」において予見された未来は、(たしか)一分おきにCMが入るワーグナーの「LPレコード」がただでもらえるというものでしたが、「LPレコード」という媒体も供給市場からほぼなくなり、技術の向上とともに、現実はさらにナンセンスも先鋭な状況となっています。

 

たとえば、関係のない広告や、わけのわからない漫画や課金ゲームの広告をなぜ受け取らなければならないのか、ナンセンスの極みといえましょう。ひっかかると思われているのでしょうか。

いくら広告を打っても、そんな商品は買わないので、無駄というのに、広告主はいつ気が付くのでしょうか。

某他社様のポータル(はてな様ではありません)であまりに下品な漫画の広告がしつこいので、このような指摘を消費者としていたしました。

「御社の職場では、このような画像をたとえば男性職員から女性職員に見せた場合、セクハラにあたらないようなコンプライアンス状態なんでしょうか?」

まあ、こんなコメントをAIロボットがどう処理するかわかりませんが。。。。

せめてプロバイダ契約をしているポータルでは控えてもらいたいですね。月何千円も金をはらっても見たくない広告が迫ってくるのは、ポスト・「にぎやかな未来」のトラウミックな状態といえましょう。

 

CMを見て、幅広い大衆が、商品と時代を共有して、感動したり、流行語をつくったりという「大衆広告」の時代は去り、ターゲット広告という名の的外れの矢が刺さってくるナンセンスな日々を過ごすばかりとはなりました。

 

防衛策としては、自動車や食品などの無難な広告をクリックして、履歴を改善してなるべく気に入った広告が目に入るようにするのでしょうけれども、それも広告戦略にあたってしまっているような気がします。。。。

 

 

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